わたしたちに許された特別な時間の終わり

どこか、遥か遠くの彼方で、今も、光が消え、そして同時に、新しい光が生まれる。

 

その爆発力は凄まじく総てを呑み込んでしまうが、わたしは何もそれを知らない。

 

それどころか肉眼では見えないこのセカイの、粒子体の、塵のような存在のわたしは、

今日も誰かの不幸を笑って、普通にご飯を食べて、それが幸せだとかは特に考えなくて、そのくせ、たまに風邪をひいただけで死にたくなったりして、生きる意味とか考えたりして、意味を付けるために生きてみたりして、けど呆気なく人は死んで、何だったんだろうって、もう意味わかんねえよ。

 

って、・・・・・・。

 

多分、比較することに意味はない。

意味なんて無いのだ。

全てを悟ったような顔で少年時代のわたしが空を見上げている。

 

空は広い、世界は広い、あなたは小さい、ちっぽけだ、もっと苦しんでいる人がいる、もっと努力しなさい

だからどうしたというのだ。

 

わたしはわたしを生きているのに、。なあ、

 

 

いつしか意味も理由も考えることをやめ、セカイの歯車に乗っかってよくわからないセカイの現象としてのわたし に疑問すら浮かべず、現象と成り得たならそれは生きていると言えるのだろうか。

現象に成り損ねたらわたしは生きているのだろうか。死んでいるのだろうか。

わたしは、・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

追伸

朝に帰ってきて、意識を失い、すぐに目が覚めて、訃報を知り、ご飯を用意して、食べる気が起きなくて、窓からみえるヒマラヤスギが風に揺れているのを眺めながらこんなことを思った。

「冷たくなったご飯を温め直さなきゃ」、な。

 

f:id:s_e_n:20240523143906j:image

 

不可逆的不信感との対話

Twitterを辞めてみた。

とは言っても何度も繰り返していることだが。

けど今回は割と本気だ。

 

余計なことを言ったら各方面から怒られた。

 

お前は何も言うな。と。

 

後悔はしていない。

友人を守りたかったから。

 

ツイートはちゃんと消えていた。

友人は守れた。

 

責任を取って私はTwitterを辞めた。

 

正直なところ小さいトラブルはこれまでもよくあり今回の件で本当に参ってしまったというのが本音だ。

 

そしてはてなブログをはじめてみた。

知り合いにあまり見られたくない。けど誰にもみられないのは寂しい。

中途半端な気持ちだ。

こんな私だがよろしく頼む。

 

終わりと始まり、故に終わりの始まり。

天井をぼーっと眺めてた。

 

そういえば昨日からご飯を食べていない。

 

予定表に何か書いてある。

 

知らない。

 

免許の更新8時から。

 

・・・・・・・。

 

時計を見る。

 

8時15分。

 

知らない。

 

惜しかったね。

 

明日から頑張ろうっ⭐︎

f:id:s_e_n:20240519101108j:image

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」