わたしたちに許された特別な時間の終わり

どこか、遥か遠くの彼方で、今も、光が消え、そして同時に、新しい光が生まれる。

 

その爆発力は凄まじく総てを呑み込んでしまうが、わたしは何もそれを知らない。

 

それどころか肉眼では見えないこのセカイの、粒子体の、塵のような存在のわたしは、

今日も誰かの不幸を笑って、普通にご飯を食べて、それが幸せだとかは特に考えなくて、そのくせ、たまに風邪をひいただけで死にたくなったりして、生きる意味とか考えたりして、意味を付けるために生きてみたりして、けど呆気なく人は死んで、何だったんだろうって、もう意味わかんねえよ。

 

って、・・・・・・。

 

多分、比較することに意味はない。

意味なんて無いのだ。

全てを悟ったような顔で少年時代のわたしが空を見上げている。

 

空は広い、世界は広い、あなたは小さい、ちっぽけだ、もっと苦しんでいる人がいる、もっと努力しなさい

だからどうしたというのだ。

 

わたしはわたしを生きているのに、。なあ、

 

 

いつしか意味も理由も考えることをやめ、セカイの歯車に乗っかってよくわからないセカイの現象としてのわたし に疑問すら浮かべず、現象と成り得たならそれは生きていると言えるのだろうか。

現象に成り損ねたらわたしは生きているのだろうか。死んでいるのだろうか。

わたしは、・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

追伸

朝に帰ってきて、意識を失い、すぐに目が覚めて、訃報を知り、ご飯を用意して、食べる気が起きなくて、窓からみえるヒマラヤスギが風に揺れているのを眺めながらこんなことを思った。

「冷たくなったご飯を温め直さなきゃ」、な。

 

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